この現実主義者めッ☆

と言いたくなる
別に罵ってるわけでも蔑んでるわけでもなく
世の中はすべて損得で動いているのだよチミィ?と某氏から言われましてね
最初は確かにムッとしましたけど、確かに純粋に物事を見ていけばそうよね
何事においてもそうだと言える
でも何か腑に落ちない
 
例えば…
物の売り買いに関して例を挙げて
まぁ日常的に八百屋と主婦なんかでやってみようか
やっぱ主婦としては、安いとこ、荷物が多くなるなら近いとこ、馴染みでまけてもらえるとことか
そして八百屋としては、賑わうところで店を出す、客を増やす、常連さんを作るとか
大体そんな得するようなことを考えるわけで
だけどこれは実際両方が得をするように仕向けないとなかなか成り立たない
売り手側から考えてみて売り上げを出したいと思うなら
まずは客に物を「店に利益が出るように」売らなきゃいけないわけよね
だけどそうするにはまずお客さん側が得を感じなければ話にならない
その得の与え方としては、品質、品揃え、値段、口上、場所、サービスなどなど
客が得をその店に対して感じれば、おのずとその店に通うようになる
誰だって損をわざわざしにいきたいなんて思わないし、得をしたいと思ってるはずだからね
それは逆に売り手側にも言えることで損をするようなことは基本的にしない
あえてする人がいるとすれば、それはよほど捻くれ者ということになる
中には無償で人に分け与えたり、自分で苦労してまでボランティアをしたりする人もいるし
好きな人に対して献身的に身を削って(損をしてまで)尽くしたりする人もいるけど
それもある意味では自分自身に対して得をしていると考える(自己満足という形で
だからここで言えることは、得をするという度合いが人それぞれ違うってことじゃないかと
その人にとって損得を差し引いて1しか得をしない、ということでも一応は得だし
実際に損をしてしまったとしても、それを他の得で何とか補おうと無意識的にやってたり
 
つまり俺が言いたいことは…
世の中はすべて得を求めることで動いているのだよチミィ?
ってことです
 
といっても、この例はしっかり社会的な根底が出来上がっている場合に限りますが…
自分勝手な(得をしたい)理由から略奪され損をする人なんて腐るほどいるわけですよ、やっぱり
それでも得を求めて人間動くわけでして、得をしたいから動くわけでして
それはつまり+の方へ向かいたいと、嬉しい楽しいそういう感情を求めてるんじゃないかと
となると損をすればそれは−という感情、悲しいつらいといったものにも繋がってくる
結局は損得観≒感情論みたいなもんで実際にそう変わりはしないと思うわけですよ
現実主義者=冷徹な人というわけじゃなくて、ただ物事を違う方向から見てるだけなんじゃないかと
その人の性格や物の見方なんかで色々変わるかもしれないけど
結局は同じ物を違う形で捕らえているに過ぎないんじゃないかと最近思うんです
あとはその人その人の表現の仕方次第といったところですか…そのせいで誤解を生むかもしれんが
 
うん、相変わらず我ながらアホ臭いと今回も思いましたが
たまには人の言う事もちゃんとじっくり考えてみないと、ダメになりそうな気がしない?
まぁ別にこれが合ってる合ってないとかじゃなくて、考えてみる過程が大事だと思いますんで
とりあえずちょっとずつやっていきたいですね